有限会社ソフトケア

墨田区の整体なら体の総合ケア グリーンバランス|院長の考え方

ご予約はこちら 公式LINEはこちら

病気に対しての考え方

病気に対しての考え方

Director's way of thinking

病気は人間の「防衛本能」

人は病気をしたらほとんどの人が自分の体が悪いからだと思うことでしょう。でも病気は命を守るための最後の防衛本能なのだと私は思っています。命を守り幸せに生きられるように体は病気にさせたのだと思っています。これは決して病気になった人を慰めようと労わろうとして言っているのではありません。病気は命を守るための最後の防衛本能であって、その防衛本能を使わなくても済むような生き方を心がけなくてはいけないのだと思うのです。体は病気にさせないと気づかないと判断しての最終決断をしたわけです。そしてその病気によって不安や恐怖や痛みといった苦痛が、その後の体の改善にも向かわせるための手段ともなり得るのです。その意味に気づけた人はそのまま生き延びることが出来るし、気づけない人はそのまま死に向かう方向へと進むのです。体はとても自愛に満ち、最後の最後まで見守り続け、助けてくれることを諦めない。しかし人は私も含め愚かで半人前だからこそ病気という手段を使わざる負えない状況まで追い詰めてしまうのです。病気をすることは恥ずかしいこと、それが自然な感覚であったはずが、病気を責めないように恥ずかしく思う必要がないように持っていく風習が根津いて来ていることを私は危惧しています。

シグナルに気付くこと

病気は誰でも起こりうることで決して恥かしいことではないという流れを作りだそうとする力が働いているようにも感じます。そのことは更なる病気の助長になるとも知らず。最近ではSNSでも芸能人が病気や体調不良で欠席や公演中止といったことをよく耳にしますが、以前ではこのように気軽とまでは言いませんが、病気を世間にさらすようなことはしなかったように感じます。
もう一度言います、病気は自分の体が悪くなったから発症したのではなく、悪くなった体をこれ以上悪くしないための防衛本能であって、命を守る姿そのものなのだと思っています。体内に病原体や異物が入ったら体温を上げて免疫反応を作動させて病原体や異物から守ろうとするのと同じで、何とか気づかそうというシグナルでもあると感じます。しかし体が熱を上げざる負えない状態まで、体を放置したことに不満があるのだと思うのです。病原体や異物が体内に入ったとしても体をいい状態に保ってくれてさえいれば、熱など高める必要もなく病原体や異物を処理することが出来るのに。例えるならば熱した鉄板に水滴を1、2滴落としたとしても一瞬で蒸発してしまうように、体をいい状態で保てていれば、病原体など恐ろしいものではないと思っています。その状態を維持するためには何よりも体との信頼関係の有無にかかっているのでないかと思っています。その信頼関係を築いて行くためには、面倒なことにこそ重要なヒントが隠されているという視点と、体を楽で便利で効率の良くストレスのかからない方向に目を向けるのではなく、甘やかしすぎないこと、面倒なことの重要性に気がつくことが大切ではないかと思っています。病気は面倒なことの典型例なのかもしれません。だからこそ病気への向き合い方が重要なのだと私は思っています。

当店でご利用いただける電子決済のご案内

下記よりお選びいただけます。